郷土史

昭和10年6月の謎 鬼北町の国鉄バス

鬼北町、出目あたりから、日吉を経て城川町あたりの旧道(国道を含む)の橋の多くが、昭和10年6月の架橋になっています。

大量の橋が、同じ架設年月になっているのは何か特別な意味があるのでしょうか?


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その橋の範囲 その1





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わたしたちの宇和島市

わたしたちの宇和島市1アーケード街

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いきなり、古い本の表紙を見て、拍子抜けしたかもface08

これは私が小学校3年生頃使っていた社会科の副読本である。


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板島橋物語






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現代の板島橋は、画像の通り昭和41年3月竣工とある。
延長125m、幅員6m

この年、昭和天皇が皇后陛下と共に宇和島市に巡行されこの橋を渡った。

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大宮庫吉傅(見返橋)




私の友人が、小学校の頃一時期住吉小学校に通っていました。

そしてある時彼が、毎朝渡っていた「見返橋」にまつわる悲しい話をしてくれました。

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藷壷(イモツボ)のある家 ☆

さて、ここでお約束の問題です!

子供の頃、オイタをしてママから

「そんなワルい子は〇〇〇〇に入れます!」

と叱られて

「くらいよ~せまいよ~こわいよ~」(面堂 終太郎風)

と、泣きじゃくる。場所は?



スタンダードなところでは、「押し入れ」



ところが最近、私より一回りも若い女性から違った風習があるのを聞いた。

それは

「イモツボ(藷壷)」 

いもつぼ 戎山




↑これではない





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これだ!
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最近取り壊した、築100年くらいの民家。

実際に入れられた子供がいたかどうかは別にして、それをいわれた子供は震え上がったらしい。

芋が主食だった時代、秋に取り入れた芋を翌年の春くらいまで保存した。

どの家も畳に当たるほど詰め込んだという。

それ以降から盆過ぎの芋ができるまでは、切り干し芋を使った「かんころめし」や芋の粉を使った「芋の餅」に替わる。


imo

左が切干、右が芋の粉(乙亥の里で購入)


戦後に建てられた家はイモツボはほとんど見られないと思います。




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プロフィール

まーきみ。

四国の片隅で「気功的な整体施術」しています。
世界で一つだけの、ココロとカラダが喜ぶ究極のリラクゼーション&トータルヘルスを目指して。
家内はフラワーエッセンスとヒーリング、ヒプノセラピーなどやっています。
夫婦で力を合わせて

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