同年二月の総会において、戎山区民の名前が初めて出る。




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大正13年4月5日総会


8月28日

保手橋掛け替えに付き、酒代は〇三円也とし

一行解読不明


 

御台場沖合埋立地に舟焼場に認許を出願する事

費用は共有金中を(使用)する事


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お台場と言い伝えられるところ(作者註)


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浜田海産あたりか?



 

10月27日

区長、副区長選挙す

 区長 古島小太郎 當

副区長 鹿島千松 當


12月2日

林武市、宇和島市へ転籍
部落共有金半分を割り戻す




大正14年1月25日

部落総会を開き職員住宅〇〇に関し協議し敷地買入に議決す

 

2月14日

部落対(二名の名称伏せる)との絶交に付部落会を開き村長及び保手、坂下津、有志立会の上協議し仲裁人に一任し和解となる

 

保安会幹事 河野國太郎 

仝 評議員 木下音松

 仝 仝  吉良寅平

右同日より就任す

 

 

4月8日

右、同日より就任す

部落等級下調


渡辺良正 河野國太郎


片岡久吉


鹿島千松 大塚勇藏


古島小太郎


木下音松 藤堂熊吉(熊蔵の誤り)


吉良寅平

鹿島定治郎 浜田初太郎 古島十次郎 浜田久吉


松広弥三郎 堀田幸助 早川武助 


河野豊次郎


早川トメ 新戸主鹿島源次郎 八月一日(ほづみ)類太郎


益田繁助


河野ロク



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4月28日 奥南橋新設寄付

2円31銭

21戸、一戸11銭


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坂下津小学校の話題が登場


7月20日

坂下津学校教員住宅(敷地に関し) 部落総会を催し総額6割及び保手、戎山部落が宇和島市合併し通学廃止と(なる)時、払い金前部を返金するの書(類)を提出すれば土地買入を承認する事

部落は不要なる住宅をは〇なきものと見

〇〇〇際し校庭へ建築する事を望む

8月11日

部落会を催し国勢調査及び紫〇株式に関し協議し25円二株を部落より申し込む事決定した

 



11月13日

村会議員予備選挙

7点 河野國太郎

4点 大塚勇藏

3点 古島小太郎

12月16日

部落総会に際し区長早川武助、吉良寅平満期となり

新任区長 浜田久吉 鹿島定次郎

右当選す

 

12月16日

衛生組長及び副組改選に付

藤堂熊吉(熊蔵の誤り)

堀田幸助

鹿島定治郎

満期となる

 

信任衛生組長

大塚勇藏

副組長

古島十次郎

松広弥三郎

 

12月31日

部落会開き左記事故を協議す

前区長隠退に付き藤堂熊蔵を改選す


(大正15年)5月12日

 

坂下津小学校教員住宅買入に付その代価一戸分3円20銭づつ部落共有金に支払へり(但し共有金は永久に取切にする事)

青年団夜警賃に〇一戸30銭づつ出金せり



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大正15年11月

「松山連隊秋季機動演習の為宇和島へ出張の際三島村広見川へ自動車転落の際死亡重傷せられし辻本軍曹他3名御見舞金として一戸に付6銭6厘20戸分1円32銭集めたり」(カナは平仮名表記に修正)


皮てんぷらのエッセイに
大正15年11月5日に、小松の通称「保木の坂」と言う難所で、陸軍第11師団の機動演習が行われ、折からの大雨も災いして、貨物自動車が広見川の岩盤に14メートル落下、軍曹1名、伍長勤務上等兵1名、東宇和郡出身御用商人1名が死亡、5名の重軽傷者を出したとあった。

と、ある。
しかし、軍の機密ゆえか、一切の公文書にはその記録は見当たらないと言う。

戎山部落協議録 1 広見川転落事故への見舞金

 

昭和2年1月4日

南予利用飯(販)売組合の件に付協議せり区長鹿島千松、福(副)区長早川武助坂下津学校教員住宅件に付、前一戸3円20銭づつ

納めたる件、前20戸〇〇18戸納めたるに付、二戸不足に付此度教員住宅料原価の返書をとるなれば二戸分納める事に決定その時納めたる人名左の如し

 

形岡久吉 濱田久吉 大塚勇藏 木下音松 鹿島千松 古島十次郎 古島小太郎 渡辺 藤堂熊太郎(熊蔵の誤り) 早川武助 鹿島定治郎 鹿島源太郎 松廣弥三郎 濱野初太郎 早川トメ 益田繁助 八月一日類太郎 河野ロク

山本善四郎 昭和2年1月より戎山部落に加入したる事

 

大正14年15年両年度除隊兵39名に支給すべき軍服一戸に付12銭8厘20戸分2円56銭残金4銭

 

15年11月松山連隊秋季機動演習の為宇和島へ出張の際三島村広見川へ自動車転落の際死亡重傷せられし辻本軍曹他3名御見舞金として一戸に付6銭6厘20戸分1円32銭集めたり

 

部名中地祝2銭納

 

昭和23月吉日

70円    机及び腰掛各10

3円     (5字不明

3円20銭  焼板

1円   (7文字不明

50銭  天井(5文字不明

1円   釘一式

5円   大工2人役

合計81円70銭一戸に付1円当り4月1日坂下津納入し候也

 

等級下調

山本喜四郎(善四郎の誤り?) 大塚勇藏 形岡久吉  河野國太郎 

渡辺クマ 古島小太郎 鹿島千松 藤堂熊蔵 吉良寅平 古島十次郎 濱田久吉 木下音松  
鹿島定治郎 松廣弥三郎 濱野初太郎 早川トメ 八月一日類太郎 益田繁助 早川武助

漁業下調  河野國太郎



右の通り也

5月15日

戎山部落会儀致したく候 学校先生内家協議 宅粗家 売る事と

 

7月28日

協議には誓約の事(記)し有候に付まず中(心)とに角 三浦三太郎氏の話の上立てる事と

 

10月1日

馬越運河に開設に関し調印せし氏名左の如し

 

形岡久吉 早川武助 濱田久吉 吉良寅平 松広藤吉(弥三郎?) 藤堂熊吉 (熊蔵?)

古島小太郎 木下音松 大塚勇藏 鹿島千松 鹿島源次郎

 

昭和2年12月2日より

部落会を開き左記の事故(事項?)を協議す

新衛生組長 山本善四郎殿 

   副長 河野國太郎殿

   副長 益田繁助殿

 

月日不詳

部落会を開き左記通り事故を協議す

区長 山本善四郎

 

 

昭和3年1月1日

益田栄次昭和2年10月より戎山部落加入したる事

 

1月28日

等級下調

山本善四郎 大塚勇藏 形岡久吉 河野國太郎 古島小太郎

鹿島千松 藤堂熊蔵 渡辺クマ 吉良寅平 古島十治郎 

濱田久吉 早川武助 松廣弥三郎 鹿島定治郎 木下音松

八月一日類太郎 鹿島源太郎 早川トメ 河野ロク 益田繁助

益田英治

漁業下調  河野國太郎

 



宇和島市との合併協議始まる

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昭和3年11月

部落市合併問題の為集会を開き協議し結果その解詰(解決?)に付、交渉委員として、時の正副区長、大塚勇藏議員 河野國太郎 古島小太郎 藤堂熊蔵に決定す

 
上記の事が宇和島市誌と山村豊次郎傳にもある


スクリーンショット (4038)

スクリーンショット (4037)


戎山保手二部落が、宇和島市への九島村より分村合併問題は、陳情書提出年が「昭和二年」(山村豊次郎傳)「昭和三年」(宇和島市誌)と一年の相違がある。宇和島市誌には山村豊次郎傳から引用、とあるが、前後のつながりから「昭和三年」が正しいと思われる。
「戎山協議録」からもそれが裏付けられる


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墨で書かれていた協議録がなぜかこの年万年筆になっていて、水気を帯びて滲んでいるがペン先の跡から「昭和参年」の文字が読み取れる。


清風園について

九島村合併問題
宇和島市と九島村の合併問題は遠く其の源を昭和3年第三代山村市長時代に発している。当時問題になった合併は九島村の全村問題としてではなかったが、市と陸続きの保手、戎山の2部落が熱烈に合併希望を訴え最初は坂下津も加え三部落の部落合併であった。即ち昭和3年6月4日保手の清風園に三部落有志が会合し、市から福田助役が列席してて市の現状を説明したのに対し、三部落側は熱心に合併を希望し合併委員を挙げてこの問題を具体化すべく運動を開始したのが抑々の合併運動の皮切りであった。
山村豊次郎傳

保手清風園
度々目にした「保手清風園」と言う名前
多分あの辺だろうな~と思う
宇和島藩の桜田家のひとつ、中桜田の別荘だったらしい。
宴会や会議をする場所もあり、戎山と保手部落と宇和島市の合併協議の席だったらしい
来村川裾、保手の山の手にある高台で旧藩士桜田家の別荘があった。
現在(昭和2年)は恵美須町の岡氏の所有になっているが四季とも園内を開放して遊楽するに任せてある。
見晴らしの良い風雅な全く清風園の名に叛かぬ別天地である。園内売店では天然の生簀保手川の(筆者註・来村川河口付近の別称)三角州で獲れる鰻の料理が出来る。また一瓢を携えて行くべきところである。(宇和島大観・昭和2年発刊)

地図、間取り図、青写真・設計図、テキストの画像のようです
すべてのリアクション:
平井忠司、本田 耕一、他12人

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昭和3年11月29日

当部落仲決算 前述のとおり決定す

仲入用

(金額不明) 区長 弁当代

(金額不明) 副区長 仝

(金額不明)(役職不明)酒代

(金額不明)(役職不明)肴代

(金額不明)(役職不明)宿禮

(金額不明)(役職不明)樒御供養

(金額不明)(役職不明)不明

 

昭和4年2月14日

(3文字不明)に依り部落共有金貸付利子一ヶ月壱(割)年中壱割に改め貸付する事に決議す

 

昭和4年12月

新衛生組長決す

濱野初太郎

濱田朝吉(久吉?)

木下音松

 

12月

新任区長決す(筆者註・班長とも見える)

形岡久吉

吉良寅平

昭和4年度12月昭和(昭和5年度12月←書き足したと思われる)

当部落仲決算左の通り

 

5円也 区長 弁当代

2円50銭也 副長弁当代

2円50銭 区長酒代

1円50銭也 区長肴代

1円也      宿禮

1円也      スミ代

1円20銭也  大師樒御佛供代

2円20銭也  (4文字不明)納代

10銭也 部落地(2文字不明)

計17円也

2円也 青年酒代

 

 

昭和5年4月10日 等級下調

大塚勇藏 形岡久吉 山本増吉 河野國太郎 古島小太郎

藤堂熊蔵 古島重治郎(十次郎)吉良寅平 濱田久吉 松廣弥三郎 鹿島定治郎 鹿島千松 木下音松鹿島源太郎 早川トメ 

濱野初太郎 益田繁助 益田英治 早川武助

 

漁業下給調 三等河野國太郎

 

 

昭和6年度等級下調

 

不鮮明により省略

 

 

昭和6年4月11日夜部落総会を・・・致し、部落共有金を昭和・・元金を限りとして各人に割金を利用し分配する事決定す。



昭和6年12月

新任区長決す(筆者註・班長とも見える)

早川長七
加藤清一




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