
辰野川の最下流の橋
地図では、宇和島道路の影になっている。
より大きな地図で 辰野川、畑枝川河口付近 を表示

その橋の名は「辰野川橋」
意外だが、辰野川に架かる橋に、同名の名前は無いようだ。
宇和島・橋物語

平成10年3月
もう、10年以上経ったのか
その頃のある日、この橋の道路の道路の取り付け工事が遅れたのか、朝のラッシュ時になってもまだ工事が終わらず、市内が「伝説の大渋滞」をした事があった。
何が原因だったのかもう忘れてしまったが、私も坂下津トンネルで立ち往生して、仕事先に1時間以上遅れてしまった。

こちらの方向を「四万十市方面」と呼ぶべきか?

内港から

松山方面

辰野川上流
手前の「おはまはし」は平成7年
その向こうの宇和島橋は昭和52年
いずれも私の物心ついた頃はまだ無かった。
左方のベイスポット(パチンコ店)は海で、盛運社の桟橋があった。

たつのがわばし

その一つ上流に先ほど紹介した御浜橋がある

御浜橋は「御浜御殿」に因んだ名前と思われる。
寺田石油の斜向に「お浜」と言うバス停があったが、私が小学校に入学した頃、堀末橋の右岸「どんこや」の前に移動した。

平成7年
バブル崩壊と言われて数年経った頃か。
「今が底だから、そろそろ景気も良くなるだろう」とのんきな事を皆、話し合ってた。
そんな事を言ってるとき、あの大震災、大事件がおこった。
私事だが、懲らしめ整体の起原は、この年に遡る。

辰野川橋

上流に宇和島橋
右方(左岸)にF-1(パチンコ)が見える。
F-1の前は「パチンコ浜センター」と言った。創業は平成3年くらいだったかな?
祝森の「パチンコセンター」の姉妹店だった。
いずれも昨年廃業してしまった。
私のパチンコ歴は、この橋が出来た年の7月、この店で最後を迎える事になった。

船は潮が引かないと橋の下を潜れそうに無い。

その上流に見えるのは宇和島橋である。
つづく
比較的新しい時代に開発された地域なので、まーきみ。さんの人生と共にあるような地域ですね…
身近なことだけに哀愁を覚えますね。。