昔の通知表 国民学校編

戦前戦後の通知表です。
親戚の保存していた、昭和19年からの通知表。
上が、2年生から6年生
下が中学三年のもの(昭和24~25)
昭和19年
主な出来事
8月22日 - 沖縄からの疎開船対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃により沈没(学童七百人を含む千五百人が死亡)
11月24日 - マリアナ群島のサイパン米軍基地からB-29が東京を初めて空襲した。
12月7日 - 東海道沖で東南海地震発生。M(マグニチュード)7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件。この地震によって、軍需工場に大被害が出たことにより、太平洋戦争での日本の敗北が早まったとも言われている。
昭和19年

宇和島市九島国民学校初等科2年
残念ながら1年生(昭和18年)の分を無くしているので紙質の比較が出来ないが、かなり粗悪な紙と思われる。
厚めだがごわごわしていて表面が綾模様になっている。

成績は優、良、可
「可」は無かったのでそこそこの成績と思われる。

現在とは教科の名前が違う。

後ろに「心かけたい事」
拡大すると


戦時中ならではの文章が

昭和20~22年の通知表は、この頃が一番物資が不足しているのか粗末で小さくなっています。
昭和20年
主な出来事
5月7日 - ドイツがフランスのランスで降伏文書に調印。
8月14日
日本政府は連合国にポツダム宣言受諾を回答。なお、終戦直後は8月14日が日本政府にとっての終戦の日であった
9月17日
枕崎台風来襲(死者・行方不明2400名)
3年生 この年だけ印刷が活版ではなくガリ版刷りのように見受けられます。

この年だけ唯一ガリ版刷り

それ以外に違うのは、身体検査の欄がない。
更に、もっと驚いた事は「保護者欄」があること。
19年に戦死したじーさんの名前がある。
親戚のものに聞いたが「戦死したのは19年9月だが、公報が届いたのは何時だったか忘れた」との事
子供が小さい頃に死んだせいか、あまり話さなかったので恥ずかしながら、じーさんの名前を初めて知った。

なぜか、保護者の名前が書かれているのはこの年だけ。
規格外れの書式だったのか。
いずれにしても感慨深いものがある。

3年生国民科の履修科目 修身と国語
昭和21年
戦後 国民学校、最後の年

4年生


国民科から、修身と国史、地理が消えている

代わりに公民
GHQの指導か?
結局、この年代は国史は学ばなかったと言う事になる。
以下余談
昭和16年の「国民学校令」により、それまでの尋常小学校、高等小学校は国民学校と改められました。
九島村には百之浦と石応に中学校がありましたが、旧市内は天神町、現在の法務局あたりに「中央国民学校」として市内の高等科の国民学校の生徒を収容していました。
宇和島市誌に「昭和3年 全市小学校の高等科を統合して、宇和島尋常高等小学校とし、これを第三小学校に併置した」とあります。(市長 山村豊次郎)
第三小学校はこの年より「宇和島尋常高等小学校」と名を改め、他は「尋常小学校」となりました。
昭和12年「宇和島高等小学校」 16年の「国民学校令」で中央国民学校と改称します。
昭和20年7月29日の空襲で焼失。戦後予科練の仮校舎でしばらく授業を続け、23年学制改革により「城南中学校」「城北中学校」の二つに分かれます。
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よく保管しておられましたね