
小高い場所から、天満神社裏にある「上槙小学校」跡を眺める。

ここはお寺のようだ。

六地蔵が安置されている。
向かって左端は、欠損してる( ゚□゚)

天保13年の年号もあった。

田畑と、ほぼフラットやった学校の敷地。
我が鶴島小学校も、かつてはレンコン畑などに囲まれていた。

津島町立 上槙(かんまき)小学校

住宅地図によると、校舎は北側(向かって左)に建っていた。


閉校の記念碑だ 平成10年建立

現在はゲートボール場として、大切に利用されているようだ。

開校百年記念在校児童の碑
昭和53年(1978年)
すると、開校は明治11年(1878年)か 西南の役の翌年
天満神社に奉納された狛犬より5年も早い。
児童数26名 教員5名 用務、給食それぞれ1名。


記念カプセルは昭和52年に埋められ、62年のお正月に発掘されたらしい。
その子らも、既に40代か。


科学技術庁の地震観測計があった


消防詰所と集会所
地図によると、詰所の隣は学校の講堂が建っていた。

大きな立派な木々が往時を偲ばせる。

家屋もこの辺りに集中している。

郵便ポスト

コカコーラの自販機あり
自販機はここ以外、城辺や岩淵辺りまで行かないと見当たらないので貴重だ。
旧道になったので、通る人も少なくなっただろう。

旧道の様子

旧道の証、古い商用看板
清重の旧道にも同じものがある。

前方の旧道に古い橋あり

その名も上槙橋


「かんまきはし」 「昭和42年3月架設」

「城辺」と言う案内が、メインロードの証か

この先で、新道と合流する

城辺方面からやってきて、初めて目にする人里だ。
かつてはへんろ道の一つ(中道)だったが、今はほとんどこのルートを通る人はいない。
もうひとつのブログも見てね

