41年の宇和島市町名改称



町名改称の理由

戦災で市街の70%を焼失した宇和島市の戦災復興土地区画整理事業は昭和21年から31年の間に実施された(減歩率15%)
昭和29年、換地指定終了
町名改称は、その区画整理の総仕上げと推察する

新聞記事によると、町名地番改正は、28年から2年半ほどかけて手がけたことがあるが問題が複雑なので中止していた。とある

昭和40年7月22日学識経験者などによる「宇和島市住居表示整備審議会」設立

街区方式(町界は公道、河川、水路、鉄道などの恒久構造物)
境界は、公道河川水路などの東または南の側線
町名は、歴史上由緒のあるもの、親しみやすいもの、語調の良いもの、を用いる。当用漢字を用いる。丁目を付けるのにも4,5丁目にとどめる。

地番の整理については、街区方式による奇遇連続千鳥式、結合式町割地番(主要道だけでなく補助道路なども境界線とする)街区の東を起点とした右回り地番。公共施設地番は、国、県、市別の地番とする。

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宇和島市50町を37町(77街区)
姿を消す旧町名23
一宮下、船大工町、向新町、横新町、竪新町(たてしんまち)、龍華前、龍光院前、北町、本町、裡町、袋町、柳町、追手通、中町、大工町、樽屋町、大榎通、鋸町、大石町、鎌原町、堀端通、富澤町、薬研堀など

新町名16
本町追手、栄町港、文京町、京町、宇和津町、大宮町、泉町、御幸町、錦町、中央町、新町、和霊元町、天赦公園、和霊公園、堀端町など


旧町名については、下記を参照

日本商工業別詳細図 昭和29年


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昭和40年の新聞記事
町名改称の記事が初めて出たのは40年の7月13日

前述のとおり、町名地番改正は、28年から2年半ほどかけて手がけたことがあるが問題が複雑なので中止していた。

1,須賀川ー神田川で囲まれた市内中心部で実施。続いて伊吹町、大浦、妙典寺など周辺で実施。町名は原則として現在のものを残す。

2,丸之内のように1区から9区迄ある広い地域は新しい町名を付ける方針

3,正式は朝日町だが「弁天町」「寿町」「築地」など、通称が親しまれているものについては正式な町名とする。

4,中心部にありながら「裡町」という町名は地元の意向で廃止する。

町名の由緒

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着手は先ず、長い朝日町から

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40年10月   第三回住居表示整備審議会

①住吉町に朝日町6丁目を編入する
②朝日町は、現在の2丁目から5丁目までとなり、須賀通の一部が編入される。
③北新町 須賀通1、2区、 朝日町1丁目 船大工町、鶴島町の一部が結合して新町名となる(御幸町)
④新町名の決定は住民アンケートを参考にす



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昭和40年11月
御幸町(北新町、須賀通一、二区、朝日町一丁目、船大工町、鶴島町の一部)は下記の候補の中から住民投票で選ばれた。(天神校区連合自治会長大川保次宅)
御幸町(120)、春日町(27)大宮町(19)新京町(19)、大黒町(10)無効1
御幸町成立で、朝日町1丁目は消滅し、6丁目は住吉町に編入されることにより消滅。朝日町は、2、3、4、5丁目が残った。

船大工町も消滅した。(御幸町、鶴島町、恵美須町)


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御幸町に編入された「旧、朝日町一丁目」


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これより和霊公園まで、映画館(キリン館)を含む商店街歓楽街が形成されている。
今は医院が多いかな。


昭和29年あ

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このように、丁目は順送りになる



昭和6年

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現在の朝日町には、旧、須賀通も含まれる




41年

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3月和霊町
投票で和霊元町(183)和霊東(79)やしろ町(38)和霊本町(37)

決定したのは
和霊公園 
和霊元町 
和霊町東通1~4丁目 
和霊中町1~3丁目



 


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41年3月30日、宇和島市住居表示(整備)審議会。区画整理課
宇和津校区
宇和津校区12町を5町に整備する。そのうち龍華前、一宮下、鋸町の一部、野川一区を統合して「宇和津町」と言う新町名を付ける

 


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愛宕町 
大工町、樽屋町、愛宕町、大榎通、裡町の一部、はアンケートの結果
一番町(114)、城東町(59)、花園町(54)、平和町(50)、昭和町(なし)
この中から決めると新聞に書かれてあったが、以後その記事は見当たらないので何らかの理由で(愛宕町1,2丁目)になったようだ。
 



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5月1日

北町1、2、3、4区 丸穂1,2区の町内が「大宮町」「辰野町」「みずほ町」「城東町」「望月町」の中から新町名を選ぶ
大宮町に決定
今も市民の中には大宮町は大宮庫吉にちなんだ名前だと言う人が多いが、どこにもその記述はない。
丸穂3-8区及び龍光院前は「丸穂町」「辰野町」「若宮町」「新川町」「元町」の中から選ぶ。
丸穂町に決定










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41年7月5日
「中央町」が生まれる
本町3,4 袋町1,2 裡町3,4 丸の内1,2
(木藤時計店から、いえき洋装店)
投票結果 中央町387 本町82

愛媛相互銀行からの新橋通内は「新町」
 




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9月8日

鶴島町駅前通、向新町、龍光院前

錦町57票 弥生町44票

錦町に決定


 

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9月20日
住居表示整備審議会が50町を37町77街区に整理して答申
(新聞記事の33は誤植と思われる)



9月27日、新町名が発表される。

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ここで、以下の2町名をめぐって、当該住民から反対運動が起こる。

当時の新聞のコラムには


『議会のやり方は表向きは民意を尊重すると言ってアンケートなど取っているが、その実、住民の意向を全く無視して審議会幹部だけで独断的に処理してしまったのではないか。そうでなかったら、今日になってかくも多勢の町民が異議を唱え反対陳情するはずがないではないか。これは飽くまでも地元町民多数の意向を尊重して愚劣極まりる街区整理や馬鹿々々しい新町名を付ける事を取りやめるべきである。(中略)地元住民の意向を無視して勝手に町名を変えると言う事は、憲法違反と言っても良いほどの乱暴な処置と言わざるを得ない』
と言う辛辣なものであった。




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栄港町
追手本町

発表当初は「栄港町」「追手本町」と現在の町名とは逆さまであった。



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9月29日、議会最終日

「本町追手」「栄町港」

住民反対の中、議会は決定した。



その後も反対運動は激化したようだ。





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苦慮する中川市長


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11月1日より、新町名スタート

中央町、文京町生まれる
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年の瀬になっても新聞には「新町名反対」の意見が多いが、不思議なことに42年になると、そんな記事も消えていった。
すぐに忘れてしまう宇和島人の気性か?

42年春には、地元栄町港から町名変更を公約に上げた候補者が市会議員に当選したが、町名は変わらなかった。

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問題は校区の変更


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飛んで43年

今尚強硬な栄町港と、聊か温度差がある本町追手の世論は落ち着いてきた印象だ

結局市の区画整理課の言う「二町名一括変更」に足並みがそろわなくなったのが、そのままになった原因かなと思う。




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今はそんなことがあったのを知る人も、少なくなっている

少なくとも私は聞いたことは無かった。

雨止んで人、傘を忘れると思うします


おわり


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おまけ

通称と思ってた「柳町」が旧町名に出ていた。

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南豫護国神社 2022

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南豫護国神社に行きました。


南豫護国神社 大正4年4月


大正2年に宇和島藩主四柱を祀り「鶴島神社」と称したのが創始である。昭和20年には戦火により社殿以下主要な建物を焼失し、復興に際しては、西南の役以降に戦没した宇和島市・北宇和郡・南宇和郡の英霊七千余柱を合祀し、昭和30年に「南予護国神社」と改称した。
宇和島懐かしの写真集より


年代がいささか矛盾するが、鶴島神社の石柱を再利用したのだろうと思う。

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昭和6年の地図には鶴島神社

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消失前の鶴島神社


鶴島神社
丸之内城山の腰旧日吉神社を改修して大正三年四月創営の工を完了したり其の規模は河内の別格官幣四条畷(なわて)神社の結構を採る南予唯一の建築なり、祭神は宇和島藩祖伊達秀宗、五代村侯、八代宗城三公を齋祀し県社に列し例祭は藩祖入国の記念日を充つ
南豫史(久保盛丸著)

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鶴島公園


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幕末の地図には「山王神社」

余談だが、その別当は神宮寺だったらしい。

神宮寺(宇和島市笹町)


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側面に消した跡がある


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11年ぶりにこの神社を参拝した

南豫護国神社の石像物


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幼稚園の時卒園記念にここで撮影した

当時とは石段が狭くなったのは参篭所など建設したり、神社修復費用の為土地を売却したためらしい。

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大改修記念碑


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狛犬


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東宮殿下御野立所

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大正11年

東宮殿下御巡遊の時、当所に於いて御慰物台覧アラセシ

神苑にて台覧があったという記録がある



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三功臣の碑

おや、手水鉢の屋根が倒れている


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大和田健樹の歌碑も倒れてしまっている


10年前は建っていたのに残念だ



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色々経緯のある碑(38年)





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参篭所


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倉庫?




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二の鳥居


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社務所 昭和34年新築


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拝殿

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ニューギニア戦没者の碑


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大正三年四月十五日

男爵 澁澤栄一


大阪天満橋西詰

石工 川島三平


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吽行







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阿行





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土俵がある



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宇和島の有名人の名前がある


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一の鳥居の奉納は

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大正三年四月一五日

正三位侯爵 伊達宗陳
 侯爵夫人 伊達孝子


澁澤栄一の狛犬と同じ日だ

当然話し合って決めたものと思われる

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世直り様(本川内)


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本川内

薬師谷に至る道




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ここを左折


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この奥に、「世直り様」の祠があるらしい。


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見えてきた


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「番城校区の史跡と伝説」番城公民館によると


「本川内部落にはいって行くと、左側に最初に見える谷がある。
その谷を少し入った右の石垣の上に小さい祠が建っている。
これが世直り様である。」






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祠と呼ぶには大きい


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石垣だけは古そうな


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この祠の中に花崗岩の塚石が祀ってある。これは河内(薬師谷、並松、川内、本川内)の庄屋三好四郎右衛門ら七人を祭った墓であると伝えられている。

初代藩主伊達秀宗は明暦3年(1657)7月27日に隠居して三男宗利があとを継いだ。
同年8月16日に五男宗純には吉田三万石を分知して与えた。

これによって宇和島藩は、七万石となり、財政的にも困難になった。そこで時の郡奉行八十島治右衛門を検地頭取に任じ、新開墾地の脱税を挙げると共に、検地を行って財政の回復を図ることとした。

八十島は漢文10年(1670)に、検地竿
※三尺(ママ)三寸(約1,9メートル)を、六尺(約1,8メートル)に改めて、検地を行おうとした。
(※作者註・六尺の誤りと思われる)
藩内の農民は増税を予想して反対した。
 八十島は先ず、河内から検地を実施しようとしたが※
川内の庄屋三好四郎右衛門は、領内20か村の惣代となって農民の為一身を捨ててその不当に抗議した。
(作者註、河内)
八十島治右衛門は、三好ら七人(本人、妻、長男、次男、女二人、下男一人)を斬り検地を実施した。
その後八十島は検地強行の責任を取って引退、家財を売って、その金で大蔵経を買い求めてこれを金剛山正眼寺(大隆寺)に奉納したという。八十島は元禄2年(1689)2月7日に没し、金剛山大隆寺に墓がある。




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香炉がある

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三の文字


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この先、本川内集会所がある。



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並松の桜木様

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村田蔵六さんにもらった「番城校区の史跡と伝説」(番城公民館)にあった並松の桜木様を探しに行った。

以下引用
「並松街道が国道と出会う(赤土鼻)少し手前の、左手にある小高い丘にこの桜木様という小祠がある。


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並松街道


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並松公民館


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この道を行くと、国道を横切って、長堀の三島神社近くまで達する。


道なりに国道方面に歩くと


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長年の勘で、あやしい入り口発見


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つづら折れに山頂へ道がある

まず間違いないと確信する


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左へ


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そして右へ


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見晴らしがよくなった


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しんばしやコスモスも


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さらに行けば


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祠発見


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手水鉢


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旧宇和島市マークに見えるが、これは水道局
そして頭が丸い石柱と言えば


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BM

ベンチマーク、即ち水準点

国土地理院ではなく、宇和島市独自の水準点か?

初めて見た。

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昭和35年7月?

わしの生まれた年だ

しかし、もう使わないものなのか?伐採した木がもたれ掛っている。


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小さいけど立派な祠

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左方に青石っぽい石碑あり

この祠は、戦前、来村尋常小学校の児童が建てたらしい




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選佛寺住職頼竜と言う人の由来
漢文で読めない。

それによると、桜木様は宇和島藩士柳澤隆治と言う人に仕えた家僕永六五大夫を祭ったものだという
宇和島藩では毎年正月に御野始めを行うのが常であった。貞享4年(1687)正月3日、の御野始の時、五大夫は主人の射落とした雉を、他家の家僕に取られてしまった。主人の隆治から「武士の下男として勇気のない事だ」ときつく叱られた五大夫は、その失敗の申し訳のため、川内の丘に登り、桜の木の下で自刃した。隆治の孫の隆良の代になって、身分の低いものでありながら恥を知る五大夫の立派な志をたたえて、この碑を建てたと言う事である。

宇和島の自然と文化










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二荒伯爵の碑

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櫻木様の思ひ出

明治二十六年の頃、八歳であった私は父に連れられてこの小さな丘に上がった、そして私は父から櫻木様の由来について審(つまびらか)に聞いた。
それは五大夫という家来が、狩の伴をして主人の撃ち落した雉を叢分けて探していたところ、他の侍の家来もその主人の撃ち落した雉を探してゐた図らずもこの二人の家来は撃ち落されていた一羽の雉を互いに主人のものと思い込み、二人で話し合ひをした結果、五大夫は雉の躰の方を、他の家来はその首の方をを持って帰って主人の許に帰って行った。
五大夫は事の次第を主人に告げ、雉の躰を持って帰ったことを得意になって話した。
主人は満足すると思ひの他、甚だ不興顔に武士の家来が獲物の首級を敵に取られるとは何事であるかと強く詰った。
主人思ひの五大夫は主人の名誉を傷つけたことを深く自分を責めて獲物を争ったこの小丘に上がって自刃したその時持ってゐた櫻の枝を突き立てたのが根付いてこの桜の木になったのである。

先年、来村小学校の児童によって小祠が建てられたのを知り昭和十四年四月、子女を伴って親しく其の地を訪ねた四十六年の昔に仰ぎ見た櫻の木は今は枯れて捨てられたのか見られなかったが、私の思ひ出は昨日のことのやうに眼底に浮かぶのであった。
今年〇〇このなつかしい昔語りをその頃の私と同じ年齢の児童に伝えたい気がしてこの碑を建てることにした。

昭和十五年三月 東京 二荒芳徳撰



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最早読めない


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境内はきれいに整備されている


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裏山



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もう一つ道があるようだ


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さて帰ろう


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あの裏の道は、ここに続くのか


終り


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薬師谷の三十三観音 一番と三十三番

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薬師谷の三十三観音

その一番が、ある場所を地元の方に聞いたので行ってみた。


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常夜灯より下にあるお堂


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木造薬師如来立像

かつて東光寺と言うお寺があった。その本尊


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お堂の建築の記念碑化と思ったら


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道路改修費祈念碑


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下部は風化して見えない


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お堂正面


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薬師谷集会所


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この石像郡の中に、一番の石仏があるはず



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三界万霊塔



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よくわからない文字


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首の取れた像


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青岸渡寺

壹番

中川フユ


本尊は如意輪観音

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丸い手水鉢


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薬師堂新築の寄付記念碑

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昭和六〇年 割と新しい

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さて、三十三番は、ずっと下の大師堂にある


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谷汲寺

丗三番

祝森
兵頭サイ
山田ミヨ

保田
三好チセ
三好ナヲ


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そしてその近くにあった遍路墓と思われる墓石

妙道智源院禅尼



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備後国


この墓石はかつて、傍らに放置されていた


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2011年

備後国深津






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プロフィール

まーきみ。

四国の片隅で「気功的な整体施術」しています。
世界で一つだけの、ココロとカラダが喜ぶ究極のリラクゼーション&トータルヘルスを目指して。
家内はフラワーエッセンスとヒーリング、ヒプノセラピーなどやっています。
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