吉井の三島神社(津島町)





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吉井に出た。










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吉井の三島神社











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ここも桜が咲いている









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常夜灯などは比較的新しい時代のものだ












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颪部と言う集落の名前が












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苔むした手水鉢











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正面の社の横に










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古い社が




これらを「末社」と呼ぶのだろうか?










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こちらのほうが古そうだ









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鳥居と桜と田園 美しい風景だ








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鳥居が真ん中で継いであるface08



石が足りなかったのか?


いあ



美しい曲線を出すために、これはこれですごい技術なのかな?





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やっと岩淵に着いた












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一面の菜の花畑のお出迎え!

菊川の石灯籠と菊川橋

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御荘町 菊川小学校は








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国道56号線の「菊川小学校」バス停から東に50メートルほど入った所にある











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そばには菊川郵便局



この学校から北へ進んだ川沿いに




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菊川石灯籠がある




常夜灯と石灯籠の違いは神社の境内に有るのか、道端に有るかで分類すると言う説もある。

道路にあるから石どうろぅ?

この場合はそばに御荘町の石碑に石灯籠と書いてあるのでそう呼称することにする。



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文政3年(1820年)庚辰(かのえたつ)8月吉日  若者中








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裏に説明書きがあった。




以前は、他の場所にあったらしい。



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上梶屋組



以前はここに「厳島神社」があって、そのための石灯籠らしい。






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相川橋 昭和38年架橋







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へんろ道の標識がある


この年代の橋は、デザインが面白い。







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菊川



この下流に現在の厳島神社がある


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国道56号線 菊川











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橋のたもとの山に現在の「厳島神社」があった。



ここの前の国道を通るときは、特に交通ルールを厳守する必要がある(神の声)


だが、ここで私がパンク修理をしたと言うことは、あまり知られていない(あたりまえや!)face07


この辺りで、一番勾配のない場所だったから。






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鳥居の額の文字は読めない?



知らない人なら厳島神社とは分らないかも?






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電話ボックスのシールに「厳島神社前」









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その脇の国道沿いに石碑が?











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明治45年5月架設  世は大正に代わろうとしている。






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平城へ1里二十三町









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きくがわはし










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一番上の文字が読めない

一里十五丁半を換算すると5,6キロ


おそらく「柏」と思われる。


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それぞれ側面に穴が開いている


橋の親柱と道しるべとを兼ねていたのだろうか・


注・その後、藤田儲三先生のお話で、戦時中の大水で流された旧菊川橋の親柱であることが判明した。
旧橋は、今の橋より、少し下流に有ったらしい。






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現在の菊川橋は歩道も整備されている。








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この年代に、国道が大改修された。




石神橋と御蔵前橋(吉田町)

橋の名前で、歴史や地名など貴重な情報を知ることができる。

吉田町のスーパーフジの前にある「御蔵前橋」はフジのある場所が藩政時代に三間から運ばれてきた「米蔵」があったことに由来する。

先日、仕事で吉田町に行った折、フジ吉田店の話になって、お客さんが

「昔は確か、缶詰工場があった筈ですよ」と言われた。

「私は昭和38年に、他所に引越したのでそれ以後は覚えていませんが」とも


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フジ吉田店  フジでは南予地方でも古い店舗だ。








この辺りは藩政時代、広場になっていてそれを囲むように三間の米蔵が五棟あった。

年貢米の集積場であり、検査場であった。

お役人が



米でもミマしょう!face07





と、言う役目柄、詰所も併設されていた。
家中への扶持米の支給、或いは御蔵切手(売買可能な換米手形)の査証が行なわれた。







そんな、国道を隔てて、フジと向山を繋ぐ橋を







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「御蔵前橋」と呼ぶのも







おくらまえだのクラッカー! (意味不明)







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対岸からの風景



左の駐車場には調整池のための汐田があった。現在排水ポンプ場があるのもその名残か

さらに隣の「きなはいや三万石」の土蔵あたりに「御茶蔵」があり、役所が設けられ士分の家に茶、大豆、紙、真綿、麻苧(糸の一種)を支給していた。



その近くの国道に架かる「吉田大橋」はその前には「三輪橋」が架かっていたし別名「缶詰橋」とも「朝家橋」とも呼ばれたらしい。

吉田の缶詰橋とその周辺





で、今回紹介する少し上流のこの橋。



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「石神橋」(いしかみはし)

名前の由来がずっと判らなかった。

名古屋の東海工業専門学校って学校に行ってた時に土木科長の「石神先生」って怖い先生がいたなぁ。
もちろん無関係face03


慌てん坊将軍さんの「間口は広いが奥行き無し」に紹介されていた「石神様」に由来する名前だとは知らなかった!
何時もながら貴重な情報を頂き(勝手にパクッてface06)ありがとうございます!


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石神橋の名前が見える








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昭和37年 この河内川下流では一番古い橋ではないか?












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慌てん坊将軍さんの情報では、このあたりに祠に続く山道があるらしい。


石神様







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中々凝ったデザインの橋だ。


今の橋は、どれも似たような作りに見えるが、昭和30年代あたりの橋は、個性があって面白い。


柏のへんろ道と中務茂兵衛の道しるべ

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愛南町 旧内海村 柏









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信号のたもと 郵便局の向いに








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柏坂のへんろ道への入り口があります。









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柏川に沿って歩いていくと、四辻に石碑がface08


平城 二里四十三丁






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現在の道しるべも並立している





右側の砂岩の石碑は四面共に文字が掘ってありました。


願わくば、現在の道しるべが陰になって撮影しにくいので、ご配慮をface06





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指差す手に袖まで描かれている!




龍光寺への案内




播磨国 加古郡 高砂通 (現・兵庫県高砂町)

施主 中須 ひさ

おそらく、石碑の下のほうは地中に没したと思われる。





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左(現在の国道方面) 舟のりば


百八十四度目為供養



周防国 大島郡 椋野村 (現・山口県 大島郡周防大島町 椋野)


中務茂兵衛義教

実はこの人、愛媛県のあちこちに20基以上道しるべを建ててるそうな
(慌てんぼう将軍さんのブログによる)


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観自在寺へ


明治三十四年


世話人 平城村 田中 □□   

石工 宇和嶋 中□□□


石工の名前に心当たりがある。

↓ 宇和島の同じ願主の道しるべの一部



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私は読めないけどw




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裏には俳句らしき一文がface08



以登うれし  まよいもとけ天 法能みち

世話人 新田 □□□ 


昔の文字は、楷書はまずない。

(読みは【新訂 内海村誌】による)




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昭和40年代の写真






茂兵衛の添句標石


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観自在時方面の旧道




ここを行けば、再び国道56号線に出る。








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柏坂方面に行きます





以上、内海中学校生徒の作ったパンフレットを参考にさせていただきました。



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中々の力作ですよ。

柏坂越えされる方は必携!

下川の古い橋と道しるべ

歯長峠を下りて西へ




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肱川の上流  宇和川と表記している地図もある。





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西予市宇和町 中下川






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「ひとうがわ」と読みます。








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でも、この橋の名前は「ひとかわはし」  昭和40年3月架設

この川は「下川」ではなく「滝山川」


「下川」は地名で、川の名じゃないのね?

高知県の「西川」や「藤の川」と同じ

「西川川」や「藤の川川」ってのがあるので、いっそ「下川川」だったら面白いのになと、ふと思った。



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で、その滝山川の上流に古い橋が!


早速行って見よう。




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これだ!


親柱の寸法がアンバランスやね?


右のが、短くて、かやっとる?





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「橋」の字が埋没してるface08


















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しかし、この橋も「ひとかわばし」

柿の実が、秋を感じさせるねぇ


県道の新しい橋と同じ名前だ。


普通、新しい橋には「新」とか付くはずだが?


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滝山川上流








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道路の左側に、陥没があるのが気になる。






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大正15年3月





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各親柱




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下川の旧道を出て、卯之町方面にしばらく行くと








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道しるべがあった










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道引大師と言うお堂の前





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明石時へ一里 209度目 周防国 大島郡 椋野村 中務茂兵衛義教






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仏木寺へ一里半余 東宇和郡下宇和村明間 兵頭氏先祖代々菩提







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明治三十九年 1月7日

日まで書いてあるのは「人日の節句」を意味するのだろうか。



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この道しるべに隣接して、弘法大師を導かれたと言う導引(道引)大師のお堂がある

ここは番外札所で、巡礼者のお接待も行われていた。

堂内には、上段に導引(道引)大師像が安置され、左手に弘法大師像、右手に不動明王像が祀られている。


『宇和島街道』より抜粋

納経の箱もある。



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明間村中
下川村中

慶応三年丁卯(ひのと う)七月





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ウンスケ  花活けに使っているのか?







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昔はこの前に橋があったと思われる。


この日も、歩き遍路の人が何組か通ったけど、皆ちらりと見ただけで素通りして行った。

お遍路さんは皆、急いでいるようだ。


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花のようにひっそりと、輝いて行きたいね。



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プロフィール

まーきみ。

四国の片隅で「気功的な整体施術」しています。
世界で一つだけの、ココロとカラダが喜ぶ究極のリラクゼーション&トータルヘルスを目指して。
家内はフラワーエッセンスとヒーリング、ヒプノセラピーなどやっています。
夫婦で力を合わせて

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